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長尾さんに続き、みんなの力で勝ち取った喜友名正さんの労災認定

 2008年10月27日、原発で働き悪性リンパ腫で死亡した喜友名正(きゆな・ただし)さんが労災認定されました。労災申請から3年、淀川労基署の不支給決定を覆しての労災認定です。
 原発労働者の悪性リンパ腫労災認定は日本で初めてです。これまでの原発労働者の労災認定は、白血病5人、JCO事故急性障害3人、多発性骨髄腫1人にすぎませんでした。喜友名さんの労災認定は、2004年の長尾さんの多発性骨髄腫労災認定に続き、原発被曝労働者の労災認定の狭い門を開く更なる一歩となりました。
 「労災認定は当然。私の時計は止まったまま。病気になって初めて放射線被曝の危険を知った夫の無念を晴らしたい。」と、不支給決定にも屈しなかった妻の末子さんの強い思いが多くの人々を動かしました。弁護団、医師、支援する会と全国の支援者の密接な連携で、この労災認定を勝ち取ることができました。全国の皆様から届けられた15万筆を超える労災認定を求める署名と、それを背景にした厚生労働省交渉で労災認定の根拠を粘り強く主張したことが効果的でした。全国の皆様、ご支援ありがとうございました。  ニュース6号
 おもな経過
   97 年 9 月~04 年1 月 全国の加圧水型の原発・六ヶ所再処理施設の定期検査で非破壊検査に従事
   05 年 5 月 喜友名正さん悪性リンパ腫で死亡
   05 年10 月 淀川労基署に労災申請
   06 年 9 月 不支給決定 この頃、原子力資料情報室に相談があり、各地に支援が広がった。
   06 年10 月 不服申し立て(審査請求)
   07 年 6 月 厚労省、支援者の要求「りん伺に戻せ」を認める。以後審査官の審査は凍結状態。
   07 年 9 月 喜友名正さんの労災認定を支援する会が発足 署名と交渉を両輪に支援活動。
     2度の中央行動を含む、7回の交渉
       07年9月、07年12月、08年3月、08年5月、08年6月、08年9月、08年11月
     15万7635筆の全国署名(提出数、提出日)
       第一次 1万2411筆 4175(12/13)、 8236(12/20)
       第二次 4万0020筆 36655( 3/ 6)、 3365( 3/17)
       第三次 4万1038筆 17690( 4/21)、19718( 5/ 9)、 3630( 6/11)
       第四次 6万4166筆 61246( 9/11)、 2006(10/ 3)、914(11/ 17)
   07 年11 月~08 年10 月 厚生労働省、5回の検討会を開催。
     07年11月、08年4月、08年6月、08年8月、08年10月
   08 年10 月27 日 淀川労基署、不支給決定を取り消し支給決定を通知

 喜友名正さんは、1997年9月から、非破壊検査の企業の孫請け会社の社員として働き始めました。現場は主として定期検査の原発(加圧水型)でした。収入を確保するために各地の原発(泊、玄界、伊方、高浜、美浜、大飯、敦賀)、六カ所再処理工場を転々とし業務に従事しました。「危険だからやめて」という妻の末子さんや親せきの強い反対を振り切って、「国が管理しているから大丈夫」と働き続けました。被曝しすぎて働けなくなるなど、原発の仕事がない時は沖縄に戻りアルバイトで収入を確保していました。正さんはついに2004年1月に体調不良でまったく働けなくなり、入院・手術・看護のかいもなく、悪性リンパ腫により2005年3月53歳の若さで死亡されました。正さんは主治医に「原子力のせいでこうなったのだろうか」と尋ねたということです。
 妻の末子さんは当然労災認定されるものと思い、2005年10月に大阪の淀川労基署に労災申請しました。淀川労基署は本省への「りん伺」(資料を添えて上級庁に意見を求めること)を行わず、2006年9月に独断で不支給決定を下しました。労基署から代理人の金高弁護士への最初の説明は、「認定基準の例示にない」からというものでした。悪性リンパ腫と同じく白血病類縁疾患で「例示にない」長尾光明さんの多発性骨髄腫の場合に福島の富岡労基署が厚生労働省に「りん伺」し検討会を経て労災認定されたことは参考にされていませんでした。
 末子さんは不支給決定に対して、2006年10月に審査請求を行いました。この頃代理人から原子力資料情報室に相談があり、各地に支援が広がりました。
 半年近い労災認定の根拠の検討を経て、「被曝労働者とJCO臨界事故被曝住民の課題についての政府交渉」(2007年6月8日)で喜友名さんの問題が具体的に取り上げられました。この交渉は、原子力資料情報室、反原子力茨城共同行動、原発はごめんだヒロシマ市民の会、双葉地方原発反対同盟、ヒバク反対キャンペーンの5者が呼びかけて、57団体、157個人の賛同を得てとりくまれたものです。後の「支援する会」の母体となりました。交渉で、労災認定の根拠と「りん伺」なしの不支給決定の不当性を主張し、「例示に無い疾病の労災申請に対して、包括的救済規定により本省と労基局の共同責任で認定せよ」と迫りました。厚生労働省は、「例示」になくても包括的救済規定により検討されること、この件について調査することを回答しました。再度6月19日に、「手続き上の不備があり、審査が十分行われなかった事を伺わせる。りん伺に戻し、再検討することを求める」との要請を行い、6月20日、厚生労働省から、「大阪と連絡をとったところ、ご指摘の通りでした。要請の通り、りん伺にもどし、再検討をいたします。」との回答を得ました。この取り組みにより当事者と支援者の信頼が深まり、「支援する会」が結成されることになりました。
 2008年9月に、前出の5団体、原水禁国民会議、関西労働者安全センターの7団体を責任団体とする、「喜友名正さんの労災認定を支援する会」が結成されました。支援する会は厚生労働省に労災認定の根拠を提出し、厚生労働省はそれを検討会に配布しました。また、「喜友名さんの労災認定を求める全国署名」を呼びかけ、地元沖縄をはじめ、被爆地広島・長崎、九州から北海道までの原発・核燃立地県と周辺、都市部の東京・大阪・兵庫など各地から、第一次~第四次の合計15万7635筆が届けられました。私たちは署名を背景に、2度の中央行動を含む7回の厚生労働省交渉を行いました。中央行動は先頭に喜友名末子さんが立ち、述べ14名の国会議員と80名の市民が参加しました。2007年度末の人事異動により担当者が代わり、それまでの交渉の到達点を確認し更に前進する必要がありました。2005年5月に長尾原子力損害賠償裁判の判決が出ましたが、多発性骨髄腫の診断は誤りでまた厚生労働省が疫学調査をもとに認めた因果関係も認められないとする不当なもので、長尾労災認定当時と同じ専門家によって構成される喜友名労災の検討会への影響が強く懸念されました。私たちは厚生労働省に、この不当判決に影響されることなく、労働者保護の原則を守るよう申し入れ、厚生労働省は「法と制度の趣旨に沿って進める」と答えました。
 厚生労働省は2007年11月に第1回検討会を開催し、2008年10月3日の第5回検討会で労災認定の方針を決定しました。 報告書(因果関係)  報告書の問題点
 喜友名さんは6年4ヶ月の間に99.76ミリシーベルトを被曝していました。これは白血病認定基準の3倍を超えるもので、5年間100ミリシーベルトの線量限度に近い大量の被曝です。しかし、喜友名さんはその被曝労働の実態を語ることなく亡くなられました。収集した資料から、喜友名さんの被曝労働は当時の被曝線量が最も高い約百人に入る過酷なものであったこと、特に2002年から2003年にかけて年間20ミリシーベルトを超える状況が常態化していたこと、1日計画線量を超えたと思われる事例があること、定期検査の前から稼働中の原発に入っていたこと、被曝線量ガ高いとされる定期検査従事者の中でも被曝量が多く従事した43件の定期検査のうち35件で平均被曝線量より高いこと、中にはその定期検査の最大被曝の89%にも達していたことなどがわかりました。(参照:喜友名さんの過酷な被曝労働
 喜友名さんの悪性リンパ腫労災認定問題を通して、被放射線曝労働が危険な業務であることが改めて浮き彫りになりました。喜友名さんは氷山の一角です。喜友名さんよりも多く被曝した原発被曝労働者は5000人を超えています。(2002年末時点)。被曝労働者は線量限度以下でも被害を被っています。国際がん研究所の報告(IARC2007年)によれば、白血病を除くすべての癌と被曝線量は統計的に有意な正の相関がある(P=0.02)ことが明らかになっています。従って喜友名さんより低い被曝線量であっても被害は顕在化してきます。日本の原発被曝労働者の総被曝線量は3000人・シーベルトを超え、その健康被害は癌・白血病死だけでも300人を超える規模です。内部被ばくによる被害も加わりますが詳細は不明です。日本の原発被曝労働者は40万人ともいわれますが、表面化した労災補償は多くありません。原発被曝労働者の労災申請は喜友名さんを含めこれまでに18件あり、そのうち認定されたのは10件です。2004年の長尾さんの多発性骨髄腫労災認定までは白血病5件とJCO臨界事故の急性障害3件でした。長尾さんの多発性骨髄腫に続いて白血病以外の労災が認定され、原発被曝労働者の労災認定の狭い門を開く方向に更に一歩前進しました。
 喜友名さんの原発被曝労災問題は、2007年10月から何度も全国紙・地方紙・テレビ等で、原発被曝労働者の記事としてはこれまでに例のない大きな扱いで報道されました。検討会で労災認定の方針が決定された記事(2008年10月4日)、大阪労働局が労災認定が妥当と判断した記事(10月14日)、労基署が正式に労災認定を伝えた記事(10月28日)はほとんどの全国紙・地方紙で報道されました。このほかに、沖縄タイムス(2007年10月18日、2008年9月12日)、琉球新報(2007年10月16日、10月21日、2008年10月5日)、東京新聞(2008年3月2日、6月10日、9月13日)、毎日新聞(2007年10月14日、2008年10月19日)、朝日新聞(2008年1月4日-青森版-)、NHK(2008年10月3日~4日)で詳細に報道されました。これらの報道を通じて、原発被曝労働者の健康被害の問題に光が当てられました。
 喜友名さんの原発被曝労災問題は多くの課題を示しています。氷山の一角として表れた原発被曝労働者の訴えを支援する取り組みを継続すること、そのための緩やかなネットワークを各地に広げること、認定基準に白血病類縁疾患を追加させることなどの課題に取り組んでいきます。
 その一歩として、厚生労働省に9項目を申し入れ、11月17日に交渉を行いました。厚生労働省は、淀川労基署が「りん伺」しなかったことに関して、「申し訳なかった。りん伺すべきであったが徹底していなかた。今回の労災認定の件を伝えるなど、昨年の全国会議で労働局全国会議に続き徹底していきたい。(趣旨)」と答えました。白血病類縁疾患を認定対象に追加することに関しては「本年度内に35条検討会を開催する。」ことを改めて確認しました。11月25日の参議院労働委員会で福島みずほ議員の質疑に対して「本年度に開催したい」との政府答弁がありました。健康管理手帳の交付に関しては、相変わらず「線量限度を守っているので影響は少なく、手帳の発行は必要がない。(趣旨)」と繰り返しました。(参照:取り組みの報告
 12月1日、代理人と支援者が淀川労基署を訪れ、「りん伺せず不支給決定したことにより認定までに時間を要し、当事者に多大な心労と労力を負わせたことについて謝罪すべきではないか。」と申し入れました。これを受け、後日、淀川労基署は遺族に謝罪を行いました。

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