「戦争の素顔」スピーキングツアー
証言 戦争とテロリズムがどのように人生を変えてしまうのか  SPAN報告記事(1)

Student Peace Action Network(SPAN)のホームページに掲載された報告記事

 11月10日~18日、ピースアクション学生ネットワークのスタッフは、日本から長崎の原爆被爆者(Hibakusha)の山科和子さん(81歳)を招いて、講演ツアーを行いました。この「戦争の素顔」スピーキングツアーは、ニューヨーク、ジャーシー、ペンシルバニア、デラウエア、ワシントンDCの高校、大学、地域のコミュニティーセンターを巡回して行われました。セプテンバーイレブンス・ファミリーズ・フォア・ピース(訳注:9.11テロの被害者の遺族が結成した平和団体)やベテランズ・フォア・ピース(訳注:退役軍人による平和団体)の各地域の代表、米国海軍の元士官志願兵だったガブリエル・ソマリバらも加わり、1000人を越える学生や若者が参加しました。

 これまでに戦時において市民に対し行われた残虐行為の中でも最悪のもののひとつを経験した生存者として、山科さんは世界中の人々に、戦争の恐ろしさと核兵器の破壊的で長期にわたる被害について語ることを自分の生涯の仕事としておられます。米国空軍が長崎郊外に原爆を投下した時、山科さんは23歳でした。山科さんは長崎市街から自宅付近に戻り、黒焦げになってしまった両親の遺体を見つけました。そして、弟、妹は行方不明のまま。山科さんは、放射能が自分の身体を蝕むことも知らずに、両親に寄り添って地べたで寝起きをし、10日間をそこで過ごしました。

 ツアーの各会場で、山科さんは放射能の「死の灰」がいかに自分の健康を蝕んでいったかを生々しく語ってくれました。今の山科さんのお姿を拝見していると、この明るくエネルギッシュな80歳代の方が、生涯にわたる苦痛と困難を経験されてきたことを想像するのも難しいほどです。放射線障害のため、両眼のレンズと歯はもはや自分のものではなく、指は変形し、背骨には放射能がたまったままです。1960年代に放射線の障害のため、皮膚が真っ黒になってしまいました。このような経験の中で、山科さんは沈黙を破り、戦争反対を訴える決意をされたのです。

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