長尾さんに続き、みんなの力で勝ち取った喜友名正さんの労災認定 (3/12)
(3)悪性リンパ腫で死亡、放射線管理手帳は本人所持せず
喜友名正さんは、1997年9月から、非破壊検査の企業の孫請け会社の社員として働き始めました。現場は主として定期検査の原発(加圧水型)でした。
収入を確保するために各地の原発(泊、玄界、伊方、高浜、美浜、大飯、敦賀)、六カ所再処理工場を転々とし、年間6~8事業所で業務に従事しました。
「危険だからやめて」という妻の末子さんや親せきの強い反対を振り切って、「国が管理しているから大丈夫」と働き続けました。被ばくしすぎて働けなくなるなど、原発の仕事がない時は沖縄に戻りアルバイトで収入を確保していました。
正さんはついに2004年1月に体調不良でまったく働けなくなり退職しました。5月に琉球大学で「悪性リンパ腫」と診断されました。入院・手術・看護のかいもなく、正さんは悪性リンパ腫により2005年3月53歳の若さで死亡されました。
正さんは主治医に「原子力のせいでこうなったのだろうか」と尋ねました。そのとき喜友名正さんは離職していましたが、会社から放射線管理手帳をわたされていませんでした。どれほど被ばくしているのか、本人も家族も主治医も知らなかったのです。