長崎被爆者・山科和子さん SPAN招待「戦争の素顔」スピーキングツアー 2003/11/9~20
(2)山科和子さんのメッセージ
私は昨年11月、原水禁の要請により、ニューヨーク、ワシントンの高校、大学にピース・ツアーに参りました。
急な話で勉強する時間も資料もなく、全体像をつかめぬまま機上の人となりました。まさか独りで行くとは!?
9.11テロ、イラク問題で生徒さん方の反応鋭く適切な質問が返ってまいりましたが、長崎時代、外人と接する時は身も心も一歩退いて語り合わねばならぬと、厳しく教えられていましたから感情を抑えて、58年経っても私の身体に残る放射能傷害を話しました。
①原爆投下の夜、山中に逃げ、松の根を枕に伏した夜の光景
②翌日は父母を求め家の方に向かったが燃えて近寄れず橋の下で独り明かした夜
③爆心地に入り、父母の焼死体を発見、弟と妹を捜してさまよい歩いた焼野ヶ原の無惨さ、悲惨さ
④被爆者なるが故の戦後の差別の日々
あの時の無念さ苦悶を、この生徒さん方にぶちまけて話せば、積年の怨念は消えるか?と一瞬、心の中に蘇り、走りましたが、恩仇を越えて生きるのが私の残された人生と誓った心が湧き出て、あどけない顔、つぶらな瞳をかがやかせて聞いて下さる生徒さん方に、投げつける言葉は出ませんでした。
生徒さん方もパネラーの方々も平和を望んでいらっしゃいます。戦争には反対です。皆々様の心の内も話し合う中にわかり、幸せな日々が続きますようお祈りをして別れました。