喜友名さんの悪性リンパ腫労災認定支援


喜友名正さんは、1997年9月から2004年1月までの6年4ヶ月間、泊、伊方、高浜、大飯、敦賀、美浜、高浜、玄海など全国の原発、六ヶ所再処理施設などの定期検査の現場で放射能漏れの非破壊検査に従事し、99.76ミリシーベルト被曝しました。記録によれば、何度も被曝限度近く被曝させられています。
体調不良により2004年2月に退職の後、2004年5月に琉球大学付属病院で悪性リンパ腫と診断され、闘病の甲斐無く2005年3月に悪性リンパ腫で死去しました。
2005年10月、遺族の末子さんが淀川労基署に労災申請しました。
2006年 9月4日、淀川労基署は不支給と決定しました。淀川労基署の説明は、「例にない」というだけで、門前払い同然の対応でした。
末子さんはこの不支給決定に納得できず、地元の弁護士を通じて原子力資料情報室に相談しました。原子力資料情報室からの連絡で各地に支援が広がりました。
2006年10月、末子さんは、不支給決定に対して不服申し立て(審査請求)を行いました。

ヒバク反対キャンペーンは喜友名さんの悪性リンパ腫労災認定支援の取り組みを開始し、まず、「悪性リンパ腫の放射線起因性」及び「喜友名さんの被ばく線量が同期間の全国の被ばく労働従事者(総数88,077人)の100人に含まれる高線量であること」を確認しました。
当時、長尾さんの労災認定勝利を引き継ぎ、「被ばく労働者の課題」と「JCO臨界事故の国の責任と被害補償を求める課題」で、反原子力茨城共同行動/原発はごめんだヒロシマ市民の会/双葉地方原発反対同盟/原子力資料情報室/ヒバク反対キャンペーンの5団体が継続して政府交渉に取り組んでいました。
喜友名正さんの悪性リンパ腫労災不認定認定を撤回させるべきと5団体の共通認識を深め、この課題が2007年6月8日に予定されていた政府交渉の課題に追加されました。
交渉での確認を踏まえた「りん伺に戻せ」との要請書(2007年6月19日)に対して、翌日厚労省はこの要求を認め、不服申し立ての審査官審査は凍結状態になりました。
支援運動は「支援する会」の発足、労災認定を求める全国署名の広がり、「喜友名さんの悪性リンパ腫が労災認定されるべき根拠」を厚生労働省の放射線障害の業務上外検討会に提出、全国署名を背景とする支援集会や6回にわたる5団体厚生労働省交渉、などに取り組みました。
厚労省の検討会が5回の検討会を経て2008年10月3日、業務上との結論を出しました。淀川労基署が不支給決定を取り消し、労災請求から3年、2008年10月27日に喜友名さんの悪性リンパ腫が労災認定されました。この問題は新聞テレビ等マスコミでも何度も取り上げられました。

労災補償対象疾病リスト(労規則第35条別表1-2)に多発性骨髄腫と悪性リンパ腫の追加

2004年の多発性骨髄腫労災認定に続く2008年の悪性リンパ腫労災認定は、白血病以外に労災認定を広げる意義をもつ重要な成果です。
これを定着させるために、労働基準法施行規則の労災補償例示疾病リスト(第35条別表1の2)に多発性骨髄腫と悪性リンパ腫を追加させる取り組みを開始しました。
厚生労働省との交渉で、広島長崎の原爆被爆者調査にチェルノブイリ原発事故除染作業者の疫学調査結果を加え、悪性リンパ腫の放射線起因性はより確実になったとする資料を提示しました。
2009年7月10日、厚生労働省の「労働基準法施行規則第35条専門検討会」でリストの「電離放射線にさらされる業務による疾病」に2疾病を追加すべきとされ、2009年12月21日に報告書が出されました。2010年4月1日、労働基準法施行規則の改正が施行されました。

多発性骨髄腫と悪性リンパ腫でこれまでに7人が労災認定

長尾さんの多発性骨髄腫、喜友名さんの悪性リンパ腫の労災認定はその後に続く労災認定のハードルを引き下げました。
2022年9月現在、多発性骨髄腫で2人、悪性リンパ腫で5人が労災認定されています。
悪性リンパ腫で不認定となった人は厚生労働省の通知文書で確認できただけでも4人と、認定数に匹敵する数にのぼります。しかし、公表された通知文書では被ばく労働の経過や被ばく線量、不認定の理由等は炭消しされ、「闇に消される」という実態です。

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