核も戦争もない平和な21世紀に! 被爆64周年原水爆禁止世界大会 ひろば
ヒバクを許さない集い-Part10
JCO臨界事故10年
広島・長崎・東海村・原発被曝労働者を結んで
すべてのヒバクシャの補償を
2009年8月5日 広島 ホテルチューリッヒ(東方2001)
概要
JCO臨界事故から10年が近づく2009年8月5日、「ヒバクを許さない集い」パート10が、原水禁世界大会の"広場"で開催されました。
主催者の挨拶で木原省治さん(原発はごめんだ広島市民の会)は10回目の「集い」の意義について次のように訴えられました。
この集いは広島・長崎に代表される被爆者運動と核実験、原発などのあらゆるヒバクシャの運動と結んでヒバクシャの救済を考える10年間の取り組みでした。
ヒバクシャは全世界に2千万人とも3千万人ともいわれますが、これ以上新たなヒバクシャを作らないために私達は何をなすべきか一緒に議論し、JCO事故から10年経た今年、改めてヒバクというものについて問い直して討論を深めて行きたい。
報告1「JCO臨界事故から10年間の取り組み」-根本がん(反原子力茨城共同行動)
臨界事故当時県庁にいあわせた。すぐに仲間と共に県庁に押しかけ、データ、資料等の要求をした。しかし、「県民に知らせるようなデータはない」と拒否された。
この中で東海村の村上村長が独断で350メートル以内の住民の避難を決めた。避難するとき東海村の職員が一軒一軒回って説得したが、その人達の中性子線被ばくの事実は隠されたままである。数日経ってやっと県は350m以内の住民の避難を追認し、10km圏の31万人の屋内待機を認めた。
屋内待機は翌日解除されたが、野菜、魚、加工品その他いろいろな物が売れなくなった。一週間後の健康診断に集まった人は7万5千人。その中でスクリーニングが行われ被曝者の公式の発表が664人ということになった。
落ち着いてきて、ひばく線量等の正しい情報の要求が行われたが、科技庁も県も「軽いヒバクだから心配ない」とつっぱねた。
JCO臨界事故というのは日本の原子力史上初めてで、臨界事故は起きるはずもないのに起きた。何故か?国ぐるみ、会社ぐるみだと私達は考えている。
刑事裁判では法律に基づいて有罪が決まったが、その後、大泉夫妻が「物には補償するが、人間には補償しないのか?」と裁判を起こした。夫妻の勇気ある行動は大変立派です。現在、最高裁に上告中です。
また、事故が起きた年から現地の住民の健診を10年続け、年ごとに新たな参加者もいて広がってきています。その記録運動に取り組んでいます。検診を受ける人はヒバクという一つの接点で集まっている。
交流する重要性を臨界事故は教えてくれた。今年も大泉さんは鹿児島の方を行脚され交流された。「事故を風化させるな」との思いは尚、広がっているのです。
報告2.「原爆被爆2世の現状と課題」―平野伸人(全国被爆2世協前会長)
私は1946年に生まれた。4,5月生まれは被爆者。被爆者はもう23万人台になっているが、実際は23万人ではなく、法的被爆者ということで理解して欲しい。被爆者援護法では1号から4号まで規定されている。
被爆2世は一方または両親が被爆者。私は被爆2世(母が被爆者)、姉は被爆者。被爆2世も放射能の影響を受けている。私達は被爆2世を第5の被爆者と呼んでいるが、法的には認められていない。我々の被爆二世の問題は年1回の健康診断のみで、ガン検診は行われない。それはヒバクの影響が次世代にまで及ぶことを厚労省は懸念し、検査すらしないということです。
これは「これ以上被爆者を増やさない、被爆者が死に絶えるのを待つ、そして原爆の被害を極めて小さいものに見せ」ようとする1955年の政府の「基本懇答申」に基づいている。大きな影響があったとすれば、原子力開発にも影響を与えるので、原爆の被害はそんなに大きなものではなかったとするものです。このために被爆二世は一般健診以外、何ら援護を受けることはできないと考えています。2世の社会的な状況や差別については、別の機会にしたいと思います。
報告3.「世界のヒバクシャ」-豊崎博光(フォトジャーナリスト)
原水禁は1980年代ヒバクの問題を積極的に取り上げてきた。1990年にはアメリカでネバダ核実験場の風下住民の被害者を補償する補償法ができ、2000年に大きく改定された。これらの法律はアメリカの国家責任を認め、謝罪がある。
また2000年にはエネルギー省雇用者職業病補償法ができ、核開発に関してヒバクした人々の労災が認められた。今、30の病気にかかった人は7万5千ドルの補償金がもらえる。兵士,ウラン採掘労働者、原発労働者等が補償の対象になっている。アメリカの核施設は300か所以上あり、そこで約50万人が働いて被曝したといわれている。
日本の援護法は補償法とはなっていない。日本政府は責任を認めていない。ヒバクシャの被害は①健康被害、②心の病、③ヒバクシャに対する差別、④先住民への被害の押しつけがある。彼らはもともと暮らしていたところを奪われている。
今も沢山のヒバクシャが生み出されている。世界で原発を作る動きが強まっており、またアメリカでウラン採掘に火がついている。ヒバクシャは拡大再生産されている。沢山のヒバクシャが置き去りにされている。こういう時代に入っている。ヒバクを許さない為に何をなすべきか考えていただきたい。
報告4.「原発ヒバク労働者の現状と救済」-建部暹(ヒバク反対キャンペーン)
2004年1月に長尾光明さんの多発性骨髄腫、08年10月に喜友名正さんの悪性リンパ腫の労災認定が皆様の力で勝ち取ることが出来ました。今年5月にこれらの2疾病を放射線被曝労災の対象例示リストに追加させることができました。
これらの成果をもとにさらに多くの原発ヒバク労働者の救済のために新たな取り組みを進めていくことが必要と考えます。
特に健康管理手帳の交付の闘いは重要だと思います。また、臨界事故でヒバクしたJCO労働者についても労働者の現状と健康診断結果を公表させ、離職者に健康手帳を交付させ、離職後も無料の健康管理を行わせることなどが必要と考えます。
<討論>
青森の六ヶ所の再処理工場で二重,三重の派遣労働者が働いており、県はそれを支援している。原発での下請け・孫請け労働者と同じように「使い捨てられる」危険が高まっているとの青森からの報告がありました。兵庫からは、放射線管理手帳を労働者に交付し、ヒバクを管理していく重要性について訴えていました。東京からは、JCO事故後10年にわたって、大泉さんを招いた講演会などの取り組みを行いながら、今後も風化を許さず各地で運動を進めていく重要性が主張されました。
これらの報告と討論をまとめる形で、また、集会アピール案についての意見や修正などの討論の後、集会アピールが参加者一同で採択されました。
プログラム
1. ビデオ上映
「被曝治療83日間の記録(NHK2001 年5 月13 日放送)」
2. 報告
JCO臨界事故から10年間の取り組み 根本がん(反原子力茨城共同行動)
原爆被爆2世の現状と課題 平野伸人(全国被爆2世協 前会長)
世界のヒバクシャ 豊崎博光(フォトジャーナリスト)
原発被曝労働者の現状と救済 建部 暹(ヒバク反対キャンペーン)
3. 総合討論
おもにJCO臨界事故をめぐる課題を明らかにし、全国各地で支援の輪を広げていくために
まとめとアピール採択
ヒバクを許さない集いPart10レジュメ
案内ビラより
「広島、長崎、東海村を結んでヒバクを許さない集い」は、JCO臨界事故の翌年の2000年8月5日に原水禁世界大会の関連企画として、「国はJCO事故の責任を認め、住民・労働者の健康被害を補償せよ」の全国署名の広がりの中で、被爆地広島で開催されました。それ以降、「ひろば」企画として毎年8月5日広島で開催されてきました。
集いでは、原爆被爆者・被爆2世、核実験被害者、JCO臨界事故被曝者、チェルノブイリ事故被害者、原発被曝労働者などあらゆるヒバクシャを結んで、ヒバク者の交流、ヒバクを許さない取り組みの前進、ヒバク手帳の交付と補償の実現をめざして、その時々の課題を明らかにするために討論を深め、参加者が各地でその運動を広めてきました。
今年はJCO臨界事故から10年を迎えます。この10年を振り返り、JCO臨界事故をめぐる今後の課題を明らかにし、全国各地で支援の輪を広げていくために討論を深めましょう。
集会アピール
核燃料加工施設のJCO東海事業所で臨界事故が発生して10年を迎えようとしています。
JCO臨界事故は広島・長崎の原爆、ビキニ核実験、チェルノブイリ事故を想起させる重大事故でした。現場で作業していた労働者3名が大量被曝し、2名が急性放射線障害で死亡しました。国が被曝を評価したJCO労働者・防災関係者・住民は666名にのぼります。
350メートル圏の住民が避難、10km圏の31万人が屋内退避しました。
国は原子力を国策として推進してきた責任や安全審査・認可・監督の責任を認めていません。刑事裁判においても、国や発注者動燃の責任は問われていません。事故の責任はもっぱらJCOに限定されています。
7000件150億円にのぼる経済的損失および風評被害に対する損害賠償が行われています。しかし、現場で作業していた3名の労働者以外の労働者や周辺住民の健康被害については国もJCOも認めていません。刑事裁判でも3名の労働者以外の健康被害は問われていません。
「事故を繰り返させるな」、「事故を風化させるな」との思いは、現地を始め全国各地の様々な取り組みにより、10年後の今日もなお受け継がれています。東海村では、昨年、脱原発を掲げた相沢一正候補が再び村会議員に選ばれました。
「広島、長崎、東海村を結んでヒバクを許さない集い」は、JCO臨界事故の翌年の2000年8月5日に原水禁世界大会の関連企画として、「国はJCO事故の責任を認め、住民・労働者の健康被害を補償せよ」の全国署名の広がりの中で、被爆地広島で開催されました。それ以降、「ひろば」企画として毎年開催されてきました。集いでは、原爆被爆者・被爆2世、核実験被害者、JCO臨界事故被曝者、チェルノブイリ事故被害者、原発・核施設被曝労働者などあらゆるヒバクシャを結んで、ヒバクシャの交流、ヒバクを許さない取り組みの前進、ヒバク手帳の交付と補償の実現をざして、その時々の課題を明らかにするために討論を深め、参加者が各地でその運動を広めてきました。
事故現場から130メートルの近距離で被曝した大泉夫妻の健康被害裁判は周辺住民を代表する訴訟として、また原子力事故による初めての住民訴訟として、地元はもちろん全国の支援を受けて闘われてきました。水戸地裁判決、東京高裁判決は、原告に立証責任を負わせ、因果関係を認めない不当なものです。大泉夫妻の主治医や診察医の診断を退け、実際には大泉夫妻を診察していない被告JCOの証人医師の意見を認めています。大泉夫妻はこれに屈せず、最高裁で争っています。全国の皆さんに支援を呼びかけます。
事故の翌年から、国・県・町村による年1回の住民健康診断が行われています。受診者の多数が継続を希望し、さまざまな健康診断打ち切りの動きを打ち破ってきました。被災住民の健康管理を長期にわたり公的に無料で行わせることは全国的な意義を持っています。長期継続の財政的保証、精密検診の無料化、健診内容の充実、健康手帳の交付を実現させましょう。
原爆症認定、被爆者援護法の適用拡大の取り組みが前進しています。被曝労働者の労災認定では長尾さんの多発性骨髄腫に続き、喜友名さんの悪性リンパ腫の労災認定が勝ち取られ、これらの白血病類縁疾患を労規則第35条別表の労災対象疾病リストに追加することが認められました。
JCO臨界事故10年に際し、私達は、ヒバクがもたらす健康への影響と子々孫々にまで受け継がれざるを得ないヒバクの傷跡に対する不安、ヒバクを強要しまたは容認した者への怒り、健康や生活上の被害への切実な補償要求、ヒバクシャに対する差別への憤り、これらヒバクシャの思いを共有し、これ以上のヒバクを許さない運動の新たな出発点とします。
広島・長崎の核被害と同様に、JCO事故を風化させてはなりません。JCO事故で突きつけられた核の危険性を風化させてはなりません。あらゆるヒバクシャを結んで、互いの運動に学び、健康管理手帳の交付、ヒバク補償を求める運動を強めていきましょう。
2009年8月5日
ヒバクを許さない集い-Part10 参加者一度