核も戦争もない平和な21世紀に! 被爆63周年原水爆禁止世界大会 ひろば
ヒバクを許さない集い(Part8)
すべてのヒバクシャを補償せよ
2007年8月5日(日) 広島 RCC文化センター
概要
「すべてのヒバクシャを補償せよ!」を中心テーマとして2部構成で講演・討論が行われました。
参加者は約60名で、そのうち約半数が初参加でした。
第1部は世界のヒバクシャとの連帯というテーマで、真下俊樹さんがフランスの核実験被害者の実態とその被害者の補償運動について講演されました。
被害の実態に関する質疑と意見交流で、私たちはこれらの歴史的に行われてきた事実を学び、実態を明らかにし、連帯して闘ってい行かねばならないことを確認しました。
第2部では初めに、集い事務局から、被曝労働者Kさんの労災認定を求める取り組みの経過、過酷な被曝労働の実態と労災認定の根拠、今後の課題の報告と支援を呼びかけるアピールの提案があり、多数の質問と意見交流により支援の重要性が確認されました。
次に相沢一正さん(支援する会の事務局、元東海村村議)が、JCO臨界事故健康裁判の提起から、2002年11月13日に第1回公判が開かれて以降、足かけ6年、今年の8月1日に行われた23回にわたる公判をたどり、その争点、今後の支援の闘いを力強くアピールされました。
この裁判と結んで健診の継続、住民の健康管理の充実との連関を強調されました。
会場から支援の声や、その運動の重要性の意見が出ました。
総合討論では、広島二世の会・会長の正平さんから、被爆二世の方々が昨年来より取り組まれている「署名」の報告、署名の継続と今後の二世運動の取り組み、さらなる協力の呼び掛けがなされました。
集会アピール「原発労働者Kさんの労災認定(悪性リンパ腫)を支援しよう」を採択して集いを終えました。
以下に各報告内容を紹介します。
1.フランスの核実験被害者の運動と「アルジェリア核実験被害者国際会議」 講演(真下俊樹さん)
フランスの核実験は軍事利用、平和利用を一元化した核開発であったことから核保有の割には実験数が多く、拙速な実験であり汚染が非常に大きい。多くの事故も起こり、強い放射能がまき散らされたが、フランス政府は常に被害を否定し、隠してきた。軍事機密を理由に被害の実態は明らかにされてこなかった。補償を求める運動は2000年初めに被害者団体が設立され、まだ端緒についたばかり。運動の拡大強化には原水禁運動が大きく貢献し、3つの被害者のグループが広島に集まった事から発展し被害者協会が設立された。
今年2月にアルジェリアで初の国際会議が開かれ、核実験場の現状が明らかにされつつある。会議は以下の一連の流れにアルジェリアの被害者を合流させたいとの意向で行われた。
①1990年代末以降、フランス政府との公式交流が始まり、アルジェリア戦争の戦後処理を話し合う下地ができたこと、
②フランス国内で仏軍退役軍人に対して被曝による障害に対して補償(軍人恩給)を命じる判決がでたこと、
③仏領ポリネシアで核実験被害に関する公式調査報告が出され、仏政府と核実験後処理(除染、被曝者への健康調査・補償など)の交渉が開始されたこと。
この国際会議では今後、フランス政府への被害の補償運動が国際的なヒバクシャ運動と連帯して闘われるきっかけとなり、核実験被害に関するフランス政府との具体的な対策交渉が行われる第一歩となった。
しかし、フランス政府の秘密主義、アルジェリア戦争に対する歴史認識の違い、アルジェリアの国際社会での「悪の枢軸」視、など多くの困難を抱えている。
2.長尾さんに続いて、原発被曝労働者・喜友名正さんの労災認定を勝ち取るために 報告とアピール提案(集い事務局)
30万人規模に達する日本の原発被曝労働者の労災認定はJCO事故の急性障害を含めわずか8件
健康被害は放置されている。海外との比較から歴然としている。
Kさんは主として泊、伊方、美浜、高浜、大飯、敦賀2、玄海などの加圧水型原発と六カ所再処理工場の定期検査の現場で6年4ヶ月間非破壊検査に従事した。
体調不良で退職し、1年数ヶ月後には悪性リンパ腫により死亡された。
Kさんの被曝線量は99.76ミリシーベルトで、5年間100ミリシーベルトの線量限度に近い。
当時の最も被曝線量の高い被曝労働者100人に入るという過酷な被曝労働である。
定期検査の計画線量を超えた(又は超えた恐れのある)事例が多数ある。
今年6月8日に行われた対政府交渉により、2006年9月に淀川労基署が不支給決定を下しているKさんの労災申請をりん伺(資料を添えて上級機関に判断を求めること)に戻して検討することを厚生労働省に認めさせ、労災認定に向けた大きな一歩が踏み出された。
Kさんの悪性リンパ腫労災認定を勝ち取ることは日本の非常に狭い労災認定の窓口をこじ開け全国の被曝労働者の補償の前進につながる。
長尾さんの多発性骨髄腫の労災認定(2004年1月)に続いて、みんなの力でKさんの悪性リンパ腫労災認定を勝ち取ろう。
支援の取り組みを全国に広げ、交渉や署名を通じて「認定せよ」の声を厚生労働省に集中しよう。
Kさんの悪性リンパ腫の労災認定の根拠
①悪性リンパ腫は白血病類縁で放射線起因性がある。
疫学調査の例:原爆被爆者の調査では、悪性リンパ腫による死亡が被曝線量と共に増加している。
②悪性リンパ腫は日本の放射線従事者の労災補償対象として例示されていないが、アメリカ、マーシャルの核実験被害者の補償、アメリカのエネルギー省雇用者の職業病補償、イギリスの原子力施設被曝労働者の被曝補償、原爆被爆者の原爆症補償などで広く補償の対象となっている。
③Kさんの放射線被曝は年当たり15.8ミリシーベルトで、白血病認定基準の年当たり5ミリシーベルトの3倍以上である。
3.JCO事故被害者の健康補償を勝ち取るために 講演(相沢一正さん)
(1)健康被害裁判の経過と論争点
第1回の公判では正一さんが「野菜の風評被害は補償されて人間の被害は補償されないのか。人間は野菜以下なのか。」と怒りの意見陳述をした。
第4回公判までは主として、原子力損害賠償法か民法か、この訴訟の適用法律を巡る法律論争で裁判は進んだ。
この論争は一時棚上げとなり、裁判所の最終判断を待つこととなった。
第5回から争点は臨界事故と健康被害の因果関係をめぐる双方の主張に移った。
第9回公判までは双方の準備書面や証書の提出の応酬が続いた。
原告側は放射線被曝により昭一さんの皮膚疾患が悪化したこと、放射線被曝をともなう事故によって恵子さんの外傷後ストレス障害(PTSD)が発症したことを主張した。
原告側は医師の診断書、専門家の見解により健康被害と臨界事故の因果関係の存在を明らかにした。
被告側はこれに対する反論として、「しきい線量」によって因果関係を否定した。
PTSDに関する医師の診断にも疑問を提示した。
第10回から立証計画と承認申請に移行した。
原告側は原告2名を含む10名を証人申請したが被告はそれを忌避しようとした。
第14回公判で裁判長が替り、新裁判長のもとで証拠調べによる論争が展開されることとなった。
第15回から19回公判で、証人採用された原告2名を含む8名の証言と尋問が行われた。
小笠原理雄医師、佐藤健二医師が昭一さんの皮膚症状の悪化について、
今村洋医師が恵子さんの症状をPTSDと診断した経緯について、
村田三郎、市川定夫証人が低線量被曝の影響について、
山之内知也証人がJCO臨界事故による被曝線量について、
それぞれ証言した。
第21回、22回公判で正一さん、恵子さんの原告本人尋問が行われた。
8月1日の第23回公判で最終公判が11月14日に決り、早ければ来年の3月頃には判決が出る。
(2)風化しない健康不安―健診の長期継続、精密検査無料化の課題
初回の健診から継続して取り組まれてきたJCO臨界事故被害者の会のアンケート調査では、常に回答者の99%近くが健診の長期継続を希望している。
不安解消のための健診ではなく、被曝による影響がわかるような健診にすることなど健診の充実を求める声が強い。
昨年は県によるアンケート調査が行われ、健診がそろそろ打ち切るのではないかと心配された。
しかし、逆に健診への強い要望が明らかになり、健診は継続されている。
健診の継続・充実に対して裁判結果が大きく影響するのではないか。
4.被爆二世運動報告・呼びかけ 報告(政平智春さん、全国被曝二世協)
昨年秋から取り組んできた36万人を超える署名を2月26日に厚生労働省に提出し、政府交渉を行った。
この署名を背景に、
①現在の援護法を被爆2世への適用を明記した国家補償に基づく援護法に改正すること、
②2世健診にガン検診を加え充実させ、健診結果に応じた医療措置を行うこと、
③2世の健康影響調査の継続、
を求めた。
被爆2世健康影響調査の解析結果については、現時点では親の被曝と二世への健康影響の関連はほとんど見出されなかったが、今後も引き続き調査を行い注意深い検討が求められる。調査については前向きに継続する。
「原爆被爆二世の援護を求める署名」は今後も継続して取り組むので、さらなる署名運動の協力を訴える。
プログラム
第1部 世界のヒバクシャとの連帯
◆フランスの核実験被害者の運動と「アルジェリア核実験被害者国際会議」
講師:真下俊樹さん
第2部 ◆原発被曝労働者 ――極めて狭い日本の労災補償の窓口
Kさんの労災認定を勝ち取るために(報告並びに支援活動のよびかけ)
報告:集い事務局
◆JCO事故被害者の健康補償を勝ち取るために
結審を迎える健康被害裁判―争点と支援の訴え
風化しない健康不安―健診の長期継続と精密検査無料化の課題
講師:相沢一正さん
討論の部 ・被爆二世より
「署名の報告と今後の二世運動の取組みについて」 全国被爆二世団体連絡協議会
・ 原爆被爆者「原爆症認定」集団訴訟の闘いへの連帯
・ すべてのヒバクシャに補償を
まとめ
アピール採択
案内ビラより
私達は、広島・長崎の原爆被爆者、JCO臨界事故被害者、原発被曝労働者、また、チェルノブイリ原発事故ヒバクシャや核実験被害者など、世界のヒバクシャとも結んで、その被害を明らかにし補償させていくために、全国各地の運動と交流し、連帯した取組みを行ってきました。
今年の「集い」では、第1部として、フランスによる核実験の被害者の運動と、私たちの連帯・交流・支援の強化を課題に討論します。
第2部では、原発被曝労働者の課題と今後の取り組みを中心に議論します。日本の原発被曝労働者の労災補償例は極めて少なく、被害は放置されています。悪性リンパ腫で死亡した原発被曝労働者の遺族による労災申請が昨年秋却下されましたが、運動の力で今年の6月に、「りん伺」(必要な調査を添えて本省にうかがいをたてること)に戻し再検討することを厚生労働省に認めさせました。この労災認定を勝ち取ることは、長尾さんの多発性骨髄腫労災認定(2013年)とあわせて日本の狭い労災補償の窓口をこじ開け、40万人の原発労働者の補償を前進させます。運動を全国に広め、労災認定を勝ち取りましょう。
また、JCO事故から8年を迎えようとしている現地から、結審を迎えようとしている健康裁判の経過と争点、風化しない健康不安など現地の状況、住民健診の継続等の課題と今後の取り組みについての報告を受け、討論します。多くの皆さんの参加を呼びかけます。
集会アピール
原発被曝労働者Kさんの労災認定(悪性リンパ腫)を支援しよう
ウラン採掘、原発・再処理等は過酷な被曝労働、多数の被曝労働者を必要としその犠牲の上に成り立っています。日本の原発被曝労働者の労災補償例は極めて少なく、被害は放置されたままです。
原発被曝労働者Kさんは、泊、伊方、美浜、高浜、大飯、敦賀、玄海などの原発、六ヶ所再処理施設などの定期検査の現場で、非破壊検査技術者として、1997年9月から2004年1月までの6年4ケ月間で99.76ミリシーベルト被曝しました。体調悪化による退職後、血液のガンの一種である悪性リンパ腫に襲われ、2005年5月に亡くなられました。
Kさんは、当時の日本で最も被曝線量の高い労働者100人の内に入るという、極めて過酷な被曝労働によって命を奪われました。しかし、遺族による労災申請は、悪性リンパ腫は例にないとして昨年9月に却下されました。現在不服申し立てによる審査中ですが、今年6月、運動の力によって、「りん伺(資料を添えて本省に判断を仰ぐこと)に戻し、再検討する」ことを厚生労働省に認めさせ、淀川労基署が下した不支給決定を取り消させ労災認定させるための大きな一歩を踏み出すことができました。
これまで氷山の一角として労災認定されたのは2004年の長尾さんの多発性骨髄腫を除けば、いずれも白血病のみです。Kさんの悪性リンパ腫の労災認定を勝ち取ることは、多発性骨髄腫の労災認定と併せて、日本の狭い労災認定の窓口をこじ開け、全国の原発被曝労働者の補償を前進させます。
2003年のヒバクを許さない集いPart4では、長尾さんの労災認定を求める課題について議論し、政府に認定を迫る運動を拡大しその一翼を担うことが出来ました。私たちは、全国の多くの方々にKさんの労災勝利への支援を要請します。そしてみんなの力で、Kさんの労災を勝ち取りましょう。
2007年8月5日
被爆62周年原水爆禁止世界大会 ヒバクを許さない集いPart8参加者一同