核も戦争もない平和な21世紀に! 被爆59周年原水爆禁止世界大会 ひろば
長尾さんに続け!未だ補償されないヒバクシャの補償をめざして
広島・長崎・東海村・ビキニ・被曝労働者を結んで
ヒバクを許さない集い Part5(2004年8月5日)
概要
村田三郎医師から「長尾さんに続け!長尾さんの被曝労災認定の意義を確認し、被曝労働者のヒバク低減と健康補償を勝ち取る運動の強化を」の報告を受けた。
◆多発性骨髄腫の労災認定は白血病以外で最初のもので、認定の枠を拡大させる一歩となった。「悪性リンパ腫」など他の白血病類縁疾患の認定に道を開き、その他のガンの認定に繋がっていく。
◆長尾さんは初めての「生きているうち」の認定である。日本の原発労災認定の狭い門をこじ開ける第一歩となった。30万人以上の原発被曝労他者が補償されず切り捨てられてきた。これらの人達の労災認定に道を開くものである。
◆今回の労災認定は原発内の過酷な労働環境と不十分な労働行政を暴露した。放射線被曝労働を労働安全衛生法の有害業務に加えさせ、作業従事者に「健康管理手帳」を交付し、長期的な健康管理を行うよう国に迫ることが重要な課題である。また、多発性骨髄腫、癌・白血病を誘発しえる作業環境があることを認識させ、被曝低減のための措置をとらせることも重要である。
◆今後、長尾さんの労災認定の事実・意義を広範に知らせ、現に被害を受けている労働者を掘り起こし、救援・救済する運動を強めていこう。
フォトジャーナリストの豊崎博光さんからビキニ・ヒバク50年をテーマに、マーシャル諸島住民のヒバクの実態、その補償の現状と今後の課題、アメリカの補償法などについて語って頂いた。
◆1942年、アメリカの原爆製造計画「マンハッタン計画」に始まる核実験、原水爆投下により多くの人々がヒバクさせられてきた。
◆ビキニ・ヒバクは1946年から1958年まで行われた核実験全体を問題にしていくことが重要である。半世紀を経た今日、補償問題は未解決で放置されたままである。
◆マーシャル諸島住民の被害は健康問題にとどまらず、精神的な被害、環境破壊、そこでの暮らし、伝統、習慣、文化など被害はすべての面に及ぶ。それらの補償は単に疾病に対する補償にとどまらず、ヒバクシャの心、子供達の被害、失われた伝統、習慣、文化などに対する補償全体を含まねばならない。
◆マーシャル諸島の人々の補償はアメリカ国内のヒバク兵士に対する補償に端を発している。マーシャル諸島政府はアメリカがわずかに認めた4環礁の234名に対する23の疾病・病状に限定した補償を、諸島全域・36疾病・症状に拡大してきた。
◆しかしアメリカの過小評価に基づいて1987年の自由連合協定に定められた1億5千万ドルの補償金はほとんど使い果たされ、補償認定者の多くが一部しか補償金を受け取れないまま放置されている。マーシャル政府はアメリカに追加補償を要求しているが、大統領選挙待ちとなっている。
◆今後、世界のヒバクシャの実態を明らにし、その事を通じてヒバクシャの完全な補償法を作らせていく必要性がある。
反原子力茨城共同行動の根本がんさんから、周辺住民の2004年度の健康診断の結果、及びJCO臨界事故による健康被害裁判の経過報告を受けた。
◆2004年度の健康診断では昨年とほぼ同数の301人が受診し、そのうち初めての受診は14人であった。JCO事故から5年経った現在、ヒバクによる健康への影響に関する高い意織性が維持されている。茨城県は「健康診断も5回目となり、周辺住民に浸透した結果である」と評価している。
◆今年の受診者の特徴は小中学生が全体の17.3%、17歳以下が20%を占めた。また、精密検査を要する人は全体の6.6%であり、精密検査の無料化要求が課題となっている。ガン検診の受診者が多い。これはヒバクによるガンへの懸念、不安があることを示している。
◆昨年に引き続き被害者の会としても周辺住民に健診への受診を呼びかける各戸へのビラ配布、新聞折り込み等を行った。「健康記録運動」も継続させ、新たなファイルを約50人分配布した。今後も積極的な継続した取り組み、県への働きかけの重要性が指摘された。
◆9月8日に開かれる第9回口頭弁輪の傍聴など、健康被害裁判への支援協力を訴えられた。
(注:被告のJCOは、広島・長崎では250mSv[25レム、2kmに相当]以下のヒバクでは人への影響はないとするABCCによる乱暴な論拠を基礎に原告の訴えを全面否定しており、原告側からは臨界事故のヒバク線量の評価及び原爆によるヒバク被害や臨界事故ヒバクの特徴である中性子線の健康影響等について具体的な反論が行われている。)
来年は被ばく60周年を迎える。ヒバク二世運動の報告を広島二世協代表の角田さんから報告を受けた。
◆被爆二世は差別と偏見のなかでずっと放置されてきた。被爆二世に対して被爆者援護法を適用させる運動を行っている。今年7月25、26日、東京で二世協の全国集会が持たれた。韓国の被爆二世と共に運動に取り組んでいる。「二度と再びヒバクシャをつくらせない」ために運動を強化していきたい。
以上の報告を受け、総合討論を行った。参加者から多くの質問、発言が出された。
◆ヒバクの証明に関して、「日本は疫学調査が少ない。何故なのか?」と日本の労災改定行政の遅れに対する批判や、「今後、市民ができることは何か?」、「やはり、情報公開させると同時に被曝労働者に信頼される運動を積み上げていくことが重要だ」などの意見が多く出された。
◆今後のマーシャル諸島の人々の補償拡大については、ヒバクに関する資料としてアメリカは多くのヒバクに関する資料を持っているのではないか?」、「これを活用させ、立証させていくのは難しいのか?」等の提言があった。
◆ウラン兵器の禁止を求める国際署名が呼びかけられた。この問題への若者の関心が高いとの報告もあった。
総合討論の後、「集いアピール」とビキニ核実験の責任をとり、マーシャル政府に協力し、半永久的に償うことを求めるアメリカ政府への「要請書」を採択した。
最後に、司会の木原省治さんから、「被爆60周年の来年のPart6を大々的に成功させよう」とまとめの発言があった。
なお、案内ビラで報告者となっていたが都合で辞退された、臨界事故被害者の会事務局長の大泉実成さんから連帯のアピールが寄せられた。
プログラム (案内ビラから)
被曝労働者・長尾さんの原発ヒバク補償を求める運動は全国に拡がり、今年、労災認定を勝ち取りました。これに続いて未だ補償されないヒバクシャの実態を明らかにし、補償を勝ち取ってくことをめざして討論しましょう。
報告・問題提起
1.長尾さんの被曝労災認定勝利の意義と今後の課題 村田三郎 医師 ヒバク反対キャンペーン
今年1月、長尾さんの「多発性骨髄腫」が白血病以外で初めて労災認定されました。
この快挙は全国に30万人を超える被曝労働者の今後の労災認定に道を開くものです。
昨年のこの「ヒバクを許さない集い」で労災認定せよとの政府に向けた要望書が採択されました。
その後、この要望書への賛同者が全国に拡がり、長尾さんの労災認定を求める運動の全国化が進みました。
長尾労災認定の意義と今後の課題について討論しましょう。
2.ビキニヒバクシャの50年豊崎博光 フォトジャーナリスト
今年はビキニ環礁でアメリカが行った最大規模の水爆実験から50年を迎えました。
水爆実験のヒバクモルモットにされたマーシャル諸島の人々は今なお核実験による被害に苦しみ続けています。
生活環境すべてを半永久的に汚染され、労働を奪われ、古来からの文化を奪われました。
アメリカは非常にわずかな補償さえ打ち切りました。
現地を追い続けてこられた豊崎さんに、世界の補償の実態を含めて、報告していただきます。
私たちに課されていることは何なのか討論しましょう。
3.東海村から、健康被害の補償を求めて 根本がん 反原子力茨城共同行動
今年はJCO臨界事故から5年を迎えます。
臨界事故健康被害補償裁判(原告、大泉夫妻)は2年目を迎えようとしています。
また、国が県に委託している健康診断を受ける住民は昨年に続き300名を超えました。
住民の健康に関する関心は依然高く、精密検査の充実・公費化等も課題になっています。
裁判の争点と今後の課題、健康診断の現状と課題等について報告をしていただきます。
4.被爆者援護法の国家補償を求めて、60周年に向けて意見交流
来年は被爆60周年を迎えます。一世被爆者は国家補償による援護法の制定を求めて闘い続けてきました。しかし、国の戦争責任は明記されず、国家責任は未だに認められていません。二世被爆者、在外被爆者は補償をめざして闘っています。来年の60周年に向けての課題を討論しましょう。
連絡先
東日本:反原子力茨城共同行動
〒310-0911水戸市見和2-255-5-103 根本がん 方 Tel・Fax 029-253-1433
西日本:ヒバク反対キャンペーン 署名担当
〒666-0115川西市向陽台1-2-15 建部暹 Tel・Fax 072-792-4628
E-mail noboru2@nyc.odn.ne.jp
アピール
原発被曝労働者・長尾光明さんの「多発性骨髄腫」が白血病以外で初めて労災認定された。本日、被爆地広島に集った私達は、二度と再びヒバクシャを生み出さないとの決意を新たに、長尾さんの勝利に続いて未だ補償されないヒバクシャの実態を明らかにし補償を拡大していくことをめざして討論をおこなった。
認定に至る経過とその意義と今後の課題について、村田三郎医師から報告があった。長尾さんの労災認定を求める運動は、反原発、反核、反ヒバク、労働者の安全・保護を求める運動、被曝を強要され、切り捨てられてきた多くの人々(原爆被爆者・原発労働者・臨界事故被害者・世界の被爆者-ヒバクシヤ)と連帯する運動の諸団体が連帯し、全国的で広範な運動として展開された。昨年の「ヒバクを許さない集い」では長尾さんの労災認定を求める政府宛て要望書が採択され、賛同者が急速に全国に拡がり、その後の労災認定につながった。
被曝から20年後に発症した「多発性骨髄腫」を白血病以外で初めて労災認定させたことは、日本の原発労災認定の狭い門をこじ開ける第一歩となった。長尾さんの労災認定の事実と意義を広範に知らせ、現に被害を受けている原発ヒバク労働者を掘り起こし、救援・救済する運動を広げていくこと、さらに、被曝低減、健康管理手帳の交付、健康補償を要求する運動を強化することが求められている。原発ヒバク労働者のおかれた実態を明らかにする取り組みと結合して具体化していこう。
今年はビキニ環礁でアメリカが行った最大規模の水爆実験から50年を迎える。豊崎博光さんからマーシャルの人々の被った被害とその補償、人々の思いについて報告を受けた。マーシャル諸島の人々は一連の水爆実験のヒバクモルモットにされ、生活環境すべてを半永久的に汚染され、今なお苦しみ続けている。ビキニ核実験がもたらしたこの甚大な被害に対して、アメリカ政府は健康・環境調査の継続に協力し、環境の回復、労働・文化の回復、被害の補償を行い、責任をとるべきである。
来年は被爆60周年を迎える。1世被爆者は国家補償による援護法の制定を求めて闘い続けてきた。しかし、国の戦争責任は明記されず、国家責任は未だに認められていない。2、3世被爆者、在外被爆者に補償を拡大する運動が取り組まれている。これらの被爆者運動の課題を結合し、被爆60周年に結集することが求められている。
ウラン兵器がコソボ、バルカン、湾岸戦争に続き、イラクでも使用され、そのヒバク被害が広がっている。ウラン兵器禁止を求める国際署名の取り組みを開始しよう。
これらの討論を踏まえ、以下の課題への取り組みを呼び掛ける。
1. 長尾さんに続き、ヒバク労働の実態を明らかにし、全国の原発被曝労働者の健康補償を行わせよう
・長尾さんの労災認定の事実と意義を広範に知らせよう
・現に被害を受けている原発ヒバク労働者を掘り起こし、救援・救済する運動を広げていこう
2. ビキニ核実験のヒバクと被害の全貌を明らかにさせ、補償を行わせよう。
・アメリカ政府は核実験の責任をとり、マーシャル政府に協力し、半永久的に償え
・世界のヒバクシャと連帯してビキニ核実験ヒバクシャへの補償を勝ち取ろう。
3. JCO臨界事故健康補償裁判を支援し、勝利を勝ち取ろう
・「国はJCO事故の責任を認め、住民・労働者の健康被害を補償せよ」の全国署名をさらに拡大させよう
4. 被爆2、3世、在外被爆者に対して被爆者援護法を適用させよう。被爆者運動の課題を結合し、被爆60周年に結集しよう
・国の戦争責任を明確にした国家補償法の実現を目指そう
・ウラン兵器禁止を求める国際署名の取り組みを開始しよう
ヒバクを許さない集い Part5 参加者一同 2004年8月5日
要請文
アメリカ大統領ジョージ・ブッシュ様
貴国はビキニ・エニウェトク環礁で1946年~1958年の間、原水爆合わせて、67回、総爆発威力108Mtに及ぶ核実験を行った。その規模はアメリカ本土で行われた核実験の100倍にものぼる。海面付近で行われた実験こよってまきあげられた大量の海水、珊瑚礁、砂が放射能を帯びた降下物となってマーシャル緒島全域に降り注いだ。核実験によるフォールアウトはさらに全世界に放射能汚染をもたらした。とりわけ、マーシャル諸島に甚大で半永久的な影響を及ぼした。環境が高濃度の放射能で汚染され、人々は健康を奪われ、伝統習慣、文化など全てが深刻な被害を被った。ロンゲラップ島にすんでいた人々など多くの島民は未だに故郷の島に帰ることが出来ない。
このような甚大な柵もたらした貴国政府は、マーシャル諸島住民をはじめとする核実験によるすべての被害者に謝罪するべきである。過去に支払われたマーシャル拝島共和国に対する補償は貴国の過小評価に基づくもので必要な補償金額にはほど遠いものであった。今改めて、健康補償、生活補償、環境改善など、マーシャル諸島住民の要求を認め、責任を持って補償すべきである。
ビキニヒバク(ブラボー実験)から50年の今、私たちは被爆地広島に集い、未だ補償されない人々の補償を実現するための討論を行った。その取り組みの一環として、また、全世界の原水爆に反対する人々の思いをも代弁して、貴国政府が以下のことを即刻実施するよう要求する。
1.マーシャル諸島政府の要求する補償をすべて、実施すること。
2.マーシャル政府に協力して核実験被害の調査を継続して行うこと。その情報を公開すること。
臨界事故被害者の会から連帯のアピール
原水禁大会参加者の皆さんへ
臨界事故被害者の会 大泉実成
JCO臨界事故が起きてから間もなく5年が過ぎようとしています。この間、全国署名運動や国、県、村との交渉、阪南中央病院による周辺住民の調査、JCOとの交渉を経て、2002年9月から水戸地裁で訴訟が行われ、今日に至っています。広島・長崎をはじめとして全国の人たちからの支援をいただいて行ってきたこの裁判は、今、大きな山場を迎えようとしています。その内容については、私たちが公判ごとに発行しているニュースに譲りますが、この過程で興味深い発見があったのでそのことをご報告します。
この訴訟の原告の一人である大泉恵子は私の母です。母は事故直後から激しい下痢を起こし、やがてよくうつ状態になりました。その年の暮れには病院で「うつ状態」と診断され、抗うつ剤を処方されます。
私たち家族は、この間、母の心身に何が起こっているのかさっぱりわかりませんでした。母は事故についての話には触れたがらず、思い出すと激しい頭痛に教われました。
広島・長崎の被爆者の調査をした人たちから、「ぶらぶら病」というのを教わったのは翌年のことでした。その後、しばらくの間、私たちは母の症状はこの「ぶらぶら病」ではないかと考えていました。
同じ時期に、母の状態を見た何人かの医師が「PTSDではないか?」と言うようになりました。そして事故から2年余り経過してから、母はPTSDと診断され、それにあった薬を処方されるようになり、少しずつ回復をはじめました。そして回復に歩調を合わせるように、事故のときの記憶をぽつりぽつりと話始めるようになりました。
事故の時、母は小学生の頃に見た広島の原爆の記録(ニュースか映画かさだかではない)を思い出していたそうです。そしてそれ以来、夏が近づき、テレビなどで広島・長崎の話が出ると、心臓が激しく動いたり全身が緊張したりして調子が悪くなったというのです。そんなことは母の口から語られるまで全くわかりませんでした。
PTSDの症状の一つに回避行動があります。母はJCOの近くに行くことを拒絶していましたが、広島・長崎の話題もそれと同じように回避していたというのでした。
広島・長崎の惨状を、実感的に感じ取るということは、私のように1960年代に生まれた人間には難しくなっていると思います。しかかし、昭和14年に生まれ、戦争で兄弟や身近な人がバタバタ死んでいくという体験をした母にとって、広島の記録は人ごとではないほど生々しかったようです。小学生という感受性の鋭い年代に見たという事情もあったのでしょう。
そして、母が意図的に行ったことではありませんが、結果的にJCO事故によって母の身休に起こった症状が、この被曝事故に対して激しくNOと叫ぶ人たちの中核になりました。そのことを思うと、広島・長崎を身に刻み込むことの重要性を改めて感じます。
私たちは東海村で原子力事故の体験をこのような形で深めています。そしてそのことによって、広島・長崎と改めて出会うという不思雑な軽験をしました。そしてつくづく人間というのは奥の奥の方でつながっているものだと思いました。
いまなお後遺症に苦しむ方、遺伝的影響の問題に取り組んでいらっしゃる方々、そしてそうした人たちに動かされて大会に参加されている皆さんに、改めて敬意を表し、連帯のあいさつをさせていただきたいと思います。